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今日の目的地ははじめから決めていた。メキシコ国立人類学博物館だ。元日は休みだったが、今日は開いていることも確認してある。ここには昨日訪れたテオティワカンやトルテカ文明、マヤ文明など、数々の遺跡から出土した、膨大な数の遺物が展示されている。中でも僕が一番見てみたかったのは、アステカ文明の遺物だ。

遙か昔に滅んでしまったテオティワカンやトルテカなどと違い、アステカ文明はスペイン人がメキシコにやってきたときにはまだ「生きて」いた。いや、最盛期を迎えていたと言っていい。そのため、残された遺物もこのアステカ文明のものが最も充実している。

中南米の文明の中でも、僕はこのアステカ文明が一番好きだ。スペイン人の残した記録によって、詳細にその文明の内容が分かっているということもさることながら、なによりその滅亡の仕方がとてもドラマチックだ。

考えても見て欲しい。それまで大西洋に隔てられて互いの存在すら知らなかった2つの文明が、あるとき突然出会ったのだ。しかも一方は銃や鉄の武器・鎧で武装し、もう一方は高度な建築技術を持ちながらも、武器と言えば棍棒や石槍、弓がせいぜいだった。初めてスペイン人を見たアステカの人々は度肝を抜かれたことだろう。現代でたとえて言うなら、ある日突然宇宙人がUFOに乗って攻めてきたようなものだ。

スペイン人がやってくるまで、アステカはメソアメリカ世界ではまさにやりたい放題だった。周辺の弱小国に攻め込んでは多くの兵を殺さずに捕らえ、生贄にする。生きたまま腹を割いて心臓を引きずり出し、神に捧げるのだ。もちろん、残った遺体は後でスタッフ神官や民衆がおいしくいただく。まさに諸星大二郎の世界だ。

ある学者の推計によれば、大規模な儀式では一度に1万数千人の人間が生贄に捧げられたという。これだけの生贄を確保するため、アステカはあえて周辺国を征服せず、生殺しにしていた。そのため、アステカは周辺国から心底憎まれていた。征服者エルナン・コルテスがわずか500人程度の手勢で、30万の人口を誇るアステカの首都・テノチティトランを征服できたのも、これら周辺国の援軍と、属国の離反によるものが大きい(他にも理由はたくさんあるのだが)。

しかし、それでもアステカの征服は簡単には済まなかった。アステカ皇帝モクテスマを人質にしてテノチティトランを占領したスペイン人たちだったが、その後アステカ人の暴動が起こり、一度はほうほうの体で都を逃げ出している。その暴動の中で、モクテスマは命を落としてしまった。

だがコルテスは周辺国からの援軍も糾合して体制を立て直し、再びテノチティトランに攻め込んだ。迎え撃つはモクテスマの跡を継いだ新皇帝・クワウテモク。そして2カ月半にもおよぶ壮絶な戦いの末、ついにクワウテモクは捕らえられ、アステカは敗れ去ったのだ。

こう書くと、まるで悪の大帝国が正義の使者に打ち倒されたように見えてしまうが、そんなことはない。中米(後に南米)を征服したスペイン人は、アステカに負けず劣らず――というより、さらに非道なことをやっている。

前置きが長くなってしまったが、そんなアステカの遺物を見るために、僕は人類学博物館へと向かった。
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